富士山のペンキ絵をぼんやり眺めながら、湯船でゆったり。「さーて、浮世の垢(あか)でも落とそうか」――。家庭風呂が普及した今もなお、常連客の心と体の疲れを癒やし、地域の憩いの場でもある公衆浴場「銭湯」。ところで横浜市域で銭湯経営に成功した人たちの多くは、能登半島(石川県)出身者だったことをご存じだろうか?
記者が知ったのは、横浜市浴場協同組合の福田勇理事長(58)に、銭湯事情を取材したのがきっかけだった。3代目の福田さんが営む「横浜天然温泉くさつ」(横浜市南区井土ケ谷上町)は6階建てビルで、2階部分が銭湯という現代的な仕様。入り口にはなぜか石川の伝統工芸、九谷焼の陶板を組み合わせた色鮮やかな七福神の絵が……。
首をかしげる記者に、福田さんは「実は初代の祖父母とも石川県出身者。絵は改装前の銭湯の壁を彩っていた古里ゆかりの作品なのです」。横浜の銭湯経営者のルーツをたどると、石川県人、特に能登半島の出身者が圧倒的に多く、次いで新潟、富山、福井の出身者が多いのだという。
贈ったオルガン「故郷に錦」
福田さんの祖母の故キミさんも中能登の旧石崎(いしざき)村(現七尾市)出身。銭湯が隆盛を極め、銭湯を舞台にしたホームドラマ「時間ですよ」が大人気だった1966(昭和41)年には、キミさんが古里の小学校にオルガンと体育館の緞帳(どんちょう)を贈り、感謝状をもらっていた。「故郷に錦を飾る。そんな思いだったのでしょう」と福田さん。
世代交代が進み、現在の銭湯…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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