東日本大震災の後、高台にある寺社が「津波避難場所」に指定されるケースが増えた。だが行政による運営の指針はなく、震災以来となる大津波警報が出た能登半島地震では、すぐ近くにある寺同士でも避難をめぐる判断がわかれた。僧侶らは行政との連携が必要だと訴える。
石川県七尾市の小高い丘に16の寺院が集まる「山の寺寺院群」。このうち、妙圀寺(みょうこくじ)では元日の激しい揺れで山門や墓が倒れ、本堂の壁にひびが入った。直後に大津波警報が出て、住民ら約40人が避難してきた。
本堂は危ないので、住職の鈴木和憲(わけん)さん(44)は、妻と一緒に境内にござや座布団を敷いた。津波避難場所といっても、市からの備蓄品はない。揺れが続き、暗くなる。恐怖と寒さで泣き出す子どももいた。
安易に動くのは危険だと思ったが……
そんな時、避難者の一人がスマホで、避難所の開設情報を見つけた。寺の近くにある小学校だが、移動中に低い場所を通る。津波の危険もある中、どのタイミングで移動すべきか。
「市から判断基準は示されていない。お寺に残ってとも、避難所に移ってとも言えず、ぼうぜんとするだけだった」と鈴木さんが振り返る。
小学3年の長男と避難していた宮田恵さん(41)は、いくつかの家族と一緒に避難所に移った。「安易に動くのは危険だと思ったが、あの寒さでは避難所に移ったほうが安全だと思った」と話す。結局、午後9時過ぎ、寺には誰もいなくなった。
一方、妙圀寺から約250メートルほど離れた本延寺(ほんねんじ)。約100人が避難していた。本堂は傾き、危なくて入れない。住職の河崎俊宏(しゅんこう)さん(55)らは寺にあった炭で火をおこし、暖をとった。夜になると、家に帰ろうとする避難者が出てきたが、町会長と一緒に「津波警報が解除されるまでは動かないほうがいい」と説得。多くの避難者が寺で夜を明かした。
二つの寺とも、津波避難場所に指定された後、市からの連絡は一度もなかったという。妙圀寺の鈴木さんは「住民の命を救うため、市から何らかの指針を示してほしいし、事前に話し合いの場がほしい」。河崎さんは「災害が起きたら政教分離うんぬんと言っていられない。目の前にある命を救うことが第一。市も寺も、一つになることが大切だ。今回の課題を市や寺、住民で解決していくことが欠かせない」と話す。
津波警報が長時間にわたって続いたとき、どう対応すればいいのでしょうか。記事の後半で専門家らが語ります。
内閣府によると、災害対策基…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル