脳性まひの19歳、国立大に合格 鉛筆使えず試験は代筆 周囲の「無理」乗り越え「地震防災を学びたい」(withnews)

県で初めて、代筆で高校受験

幼いころから車椅子の生活。会話はでき、右手でレバーを使って自ら電動車いすの操作をする。右手のひじから先以外、手足の自由は利かない。鉛筆はかろうじて持てるが、自由に文字を書くことはできない。精神的な緊張などによって、筋肉がこわばって体が反り返ったり、動かなくなったりする症状があり、車いすに座ることすら難しいときもある。

ただ、他人との違いをあまり意識することなく育った。地元の町立小中学校に通い、勉強に積極的に取り組んだ。「先生を困らせるぐらい質問した」。授業内容の書き取りや、校内の移動は教員に手伝ってもらい、ほとんどの時間をクラスメートと一緒に過ごした。

中学生の時には県教育委員会を訪ねて、「地元の県立高校で勉強したい」と直談判。言葉で解答を伝えて他の人に記入してもらう代筆受験が県内で初めて認められた。月に1度は午前3時に起きて大阪市内の病院に通い、入試に備えてなるべく体を緊張させずに同じ姿勢を取れるよう訓練を受けた。苦労が実り合格すると、入学式の総代にも選ばれた。

「大学で地震防災を学びたい」

このころから将来の夢を持つようになった。生まれ育った海陽町は、南海地震の津波で繰り返し被災している。「人の命が一番大切。大学で地震について学び、世界中の人を一人でも多く救いたい」

高校では一時的に体の緊張がひどくなり、通えなくなったこともあったが、昨春無事に卒業した。ただ、高校と同じように代筆で臨んだ大学受験は不合格。センター試験は良い点数だったが、高知大学の2次試験にてこずり、自宅での浪人生活が始まった。

当然だが、大学受験では問題の難易度が上がる。言葉で解答を伝えて代筆者に記入してもらうが、特に数学や理科の図や式を説明するのに苦労した。できるだけ自らのイメージに近く描いてもらうように心がけた。聴覚障害者らのため、筆記通訳をする町内のNPO法人のメンバーなどから代筆のサポートを受けて、自宅で模擬試験も受けた。


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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