あの日襲った巨大な揺れと津波で生き方を考え、自分にできることを問い直して10年を過ごしてきた人たちが、日本の各地にいる。
さいたま市の吉田佐保子さん(30)は2月の福島県沖地震の後、災害発生時に自分の居場所を登録した人に知らせるアプリをスマートフォンに入れた。
脳性まひで、車いすを利用している。あの日から10年。いざという時にどう助けを求めるか、考え続けている。
記事の後半では、阪神大震災のときに何も出来ず、後悔にさいなまれて宮城県石巻市と交流を続ける大学准教授、40年前に小学1年生の次女を学校の事故で亡くし、大川小学校へ訪れた京都府の女性を紹介しています。
震災時は大学2年生。大学からの帰路、東京都新宿区の地下鉄の駅でエレベーターからホームに降りた時に揺れを感じた。電光掲示板が大きく揺れていた。「どこかで大きな地震があったんだな」。このときはまさか家に帰れなくなるとは思わなかった。
普段は車や介護タクシーで通学していたが、この日は電車だった。母と兄が迎えに来ていた。
地下鉄は運休。バスに乗ろうと階段へ向かうと、通りかかった男性がひょいと抱え上げてくれた。車いすを運ぶ兄の荷物を持ってくれた男性もいた。
バスで着いた池袋駅から先の交通手段がなくなった。避難場所を探したが、2階だったり、車いすで使えるトイレがなかったり。バリアフリーが整っている立教大にたどり着き、教室内の車いす用のスペースで一夜を明かした。「障がい者や女性、子どもは弱者と言われるけれど、私は本当に他の人よりも事前に備えが必要だと感じました」
その後「災害対策基本法」が改正され、自らでの避難が困難な人の名簿作成が義務づけられた。さいたま市が2015年に作った「避難行動要支援者名簿」に吉田さんも登録した。
吉田さんは空間認知機能にも障がいがあり、初めての場所での移動が難しい。通勤路も目印を決め、決まったルートを通る。災害時にいつものルートで帰れなくなったらどうすればいいのか。「避難はもちろん、自宅に帰るまでの支援制度も必要だ」と感じる。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル