ふんわりした布でできた、色鮮やかな花のかんざし。
その美しさに心を奪われた。
でも、「こんな将来性のない仕事は大嫌い」とも思った。
70年前。穂積実さん(86)は中学を卒業後、福島県から上京した。「江戸つまみ簪(かんざし)」の職人に弟子入りするためだった。
本当は、自動田植え機を開発するような仕事がしたかったが、家は貧しい農家。「集団就職という名の丁稚(でっち)奉公」以外の選択肢はなかった。当時16歳だった。
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初日は上野動物園や浅草を見物させてもらったが、翌日からおかみさんや若旦那の雰囲気はがらりと変わった。
早朝から掃除や買いものを言いつけられ、それらをこなすだけで1日が過ぎていく。もともと不器用で、半年経っても、布をピンセットでつまんで花びらにする作業は上達しない。
おいしいものやおやつは自分だけ分け前がなく、おなかがすいて眠れない日もあった。仕事が一段落し、みんなで茶の間でTVを見る時は、おかみさんが自分にだけお茶を配らなかった。つらくて、いつもそっと席を外した。
半月に1回の給料で買えるのは、靴下か丸首シャツくらい。銭湯も、床屋に行く回数も減らした。おかみさんからは「みっともない」と言われた。
駅員の「頑張れよ」に涙
そんなある日、奉公先に100本の桜の苗木が届いた。
ためたお金で母校の福島県郡…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル