自民党が進める司法制度改革の「船」に乗るべきか。法務省内には懐疑的な見方が強かったが、当時の首脳陣は「乗る」という判断をした。過去を振り返ると、法曹三者による改革にはおのずと限界があると判断したからだ。議論の要となる司法制度改革審議会の事務局長を、法務省の次官はこう言って送り出した。「ガラガラポンでいい」
ギリシャ神話の女神「テミス」は両手に天秤と剣を持つ。司法の公正さと正義を表す象徴だ。司法制度のあり方を考える「テミスの審判」第1部では、司法制度改革審議会の会長を務めた佐藤幸治の歩みを軸に、改革の背景を探る。
自民党の司法制度特別調査会が報告書「21世紀の司法の確かな指針」を公表し、政府に「司法制度審議会」(仮称)を作るよう求める、3週間前のことだ。
1998年5月28日午後1時、古川貞二郎官房副長官(86)の執務室に、法務省官房長の但木敬一(78)と司法法制調査部長の山崎潮が訪れた。いつもは弁舌さわやかな二人が少し浮かない、困った表情をしていたことを古川は今も覚えている。
但木がこう切り出した。「司法制度改革をやる必要があるのですが、法務省だけでは手に負えません。官邸がかんでもらえないでしょうか」
但木は内心、色よい返事が返ってくるとは思っていなかった。官房副長官は省庁間の調整でただでさえ忙しい。断られるか、何か条件がつけられるか。
ところが、古川は即答した。「有識者の懇談会みたいなものを内閣に作り、オールジャパンでやったらどうでしょうか」
古川にとって、司法制度改革に取り組むことは自然の流れだった。事務方の責任者としてかかわった行政改革会議の最終報告書にも「司法の人的及び制度的基盤の整備に向けての本格的検討を早急に開始する必要がある」と記されていた。
「官邸でやってくれるのですか」。但木と山崎は顔をほころばせた。
もっとも、古川は事前に、橋本龍太郎首相や梶山静六官房長官の了解を得ていたわけではなかった。だが「100%の自信があった」という。「司法制度改革はある意味、行政改革以上に大事であるとの思いがあった。『社会のきまり』を決める議論ですから」。
但木と山崎が帰ると、首相と官房長官に連絡をし、了承をとりつけた。
政府の下に司法制度改革を考える舞台が作られることが、こうして固まった。
但木が法務省の官房長となったのは、古川を訪問する半年前の1997年12月だった。ちょうど自民党の司法制度特別調査会が中間報告を出したころだ。
自民党の改革論議の行方には…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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