色彩が消えた母は僧侶になった 「一発目があんたやで」息子に語った

 「楽しんどいてや」

 自宅を出る長男に声をかけた。

 大学生になって初めての学園祭。翌朝になっても帰ってこなかったが、友達と一緒にいるんだろうな、と思っていた。

 2009年11月2日。まだ早朝だった。

 竹下暁代(あきよ)さん(54)=奈良県五條市=は、高校生だった次男の弁当を作り始めた。

 携帯電話が鳴った。

 「息子さんが心肺停止状態です」。救急隊からだった。

 そこからの記憶は途切れ途切れだ。

 搬送先の病院に駆けつけたが、最期の言葉も交わせなかった。

 関西大1年だった康平さん。学園祭の打ち上げでボウリング場を出た後、同級生たちと車に乗り込んだ。その車が未明の大阪市内を走行中、道路脇の街灯に激突した。

 あと4日で19歳の誕生日だった。

 ひとり親家庭。ヨガインストラクターの仕事から帰ると、「お母ちゃん、食べてみい」。サプライズで、手作りの夕食が用意されていたこともあった。

 近所の子どもにも、お年寄りにも優しくて。通夜で焼香してくれた人は、700人を数えた。

     ◇

 「私の世界から色彩が失われてしまった」

 心を覆う喪失感。逃れたくて、長い間、思いを巡らせた。

 12年かかって、たどり着い…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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