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震災前はプロサッカー選手が集い、東京電力福島第一原発の事故後は丸6年にわたり事故収束の拠点となったJヴィレッジ(福島県楢葉町・広野町)。日本女子代表元監督で、副社長の上田栄治さん(67)は2年前に全面再開するまでの歩みを振り返りつつ、サッカーの「聖地」が進む新たな道について語った。
うえだ・えいじ 1953年12月、千葉県館山市生まれ。フジタサッカークラブ(現・湘南ベルマーレ)で現役引退後、マカオ代表や日本女子代表監督(2002~04年)、日本サッカー協会の女子委員長などを歴任。13年7月からJヴィレッジ代表取締役副社長。
――震災当時、どこで何をしていましたか。
「ロシアのモスクワ空港で飛行機の乗り継ぎを待っている時でした。当時、日本サッカー協会(JFA)の女子委員長を務め、ポルトガルで開かれたなでしこジャパンの国際大会に帯同した後、ロシアでのU19の女子国際大会の視察に向かう途中でした。日本時間の3月12日早朝だったと思いますが、空港のテレビに津波の様子が映し出され、日本で何か大変なことが起きたことだけは分かりました。その後、視察先でチームと合流し、震災が起きたことを知りました」
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震災前の福島は「緑豊かな過ごしやすい場所」
――2013年7月にJヴィレッジの副社長に就任しました。
「福島との関わりを持ったきっかけが、実はJヴィレッジでした。開業した1997年にJFAのユース年代育成の取り組みで訪れたのが最初で、その後も監督の立場で試合や合宿先として利用しました。Jヴィレッジの緑豊かで過ごしやすい環境のイメージこそが、私にとって震災前の『福島県』でした」
「2011年になでしこジャパンがワールドカップ(W杯)で優勝したのも一つのきっかけだと思います。あの当時、日本女子代表の選手たちは『被災地に元気を届けよう』と、劣勢でも決してあきらめない試合をしてくれました。後日、被災地を勇気づけられたと聞き、スポーツの果たす役割の大きさを感じました。私も長い間JFAとサッカーに関わった身として、13年春ごろにJFAからJヴィレッジの副社長の打診を受けた際は、営業再開は非常に困難でも、断る理由はないと考えました」
――原発事故を受け、Jヴィレッジは営業を休止し、事故収束に向けた作業員の拠点となりました。
「副社長の就任当時は、月に…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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