かつて正月映画の定番といえば、「男はつらいよ」だった。22年ぶりの新作公開でいま話題になっているが、久々すぎて記憶がおぼろげだったり、シリーズを見たことがなかったり、という人も少なくないだろう。そこで寅さんといえば、朝日新聞にはこのひとがいる。大衆文化・芸能担当の小泉信一編集委員(58)だ。マドンナら数々の出演者にインタビューし、全作品を繰り返し見てきた。「これを見ればきっと新作も楽しめる」というおすすめを紹介する。今回は中・上級編。
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中級編
寅さんは全国各地でいろいろなマドンナと出会ってきた。中には悲しい別れもあった。寅さんの恋の軌跡を知る上で欠かせない作品を挙げる。
「寅次郎夕焼け小焼け」
(第17作、1976年7月公開)
歴代マドンナの中で、もっとも気っ風がいいのは播州龍野(兵庫県)の芸者・ぼたんだろう。演じた太地喜和子の魅力も相まって、明るく弾けるような笑い声がロケ現場に響き渡ったという。とてもいい雰囲気で寅さんとの物語が展開するのも面白い。多くの寅さんファンが「ベストワン」と推す作品。日本画の巨匠に宇野重吉、そのかつての恋人に岡田嘉子が出演。宇野の長男で歌手でもある寺尾聰が市役所職員役で出てくるのも見逃せない。
「寅次郎純情詩集」
(第18作、1976年12月)
満男の小学校の先生・雅子(檀ふみ)が、母・綾(京マチ子)を連れて柴又の団子屋にやってきた。病院から退院したばかりで元気そうに見えるが、不治の病に侵され長くは生きられないという。寅さんは毎日のように綾が住むお屋敷に通っては一緒に食事をしたり話し相手になったりして励ます。「人間はなぜ死ぬのでしょう」と問う綾の言葉が切なく観客の胸に響く。シリーズ中、最も不幸なマドンナと言えるだろう。
「浪花の恋の寅次郎」
(第27作、1981年8月)
「大阪なんか大嫌いだ」と言っていた寅さん。だが妹さくらへの手紙に書いてあった。「人情は厚いし、食べ物はうまい。この土地は俺の性に合っているらしい」。実は理由があった。大阪の芸者ふみ(松坂慶子)にほれてしまったのである。通天閣の旅館主に芦屋雁之助、そこに寝泊まりする謎の男に笑福亭松鶴、ふみの先輩芸者にかしまし娘の正司照枝・花江、そして関西喜劇界の大御所、大村崑と、上方芸人が脇を固める。
「花も嵐も寅次郎」
(第30作、1982年12月)
寅さんが若いカップルの恋愛指南役に徹する。そのカップルとは驚くなかれ。当時、歌手として人気絶頂にあったジュリーこと沢田研二。うぶで口べたな動物園の飼育員を演じる。相手は、確かな演技力と蠱惑(こわく)的な魅力で注目を集めていた田中裕子。観覧車での甘いキスシーンは見ていてドキドキする。自称「三文役者」の殿山泰司が大分の和尚役を好演。ちょい役だが、寅さんとは幼なじみの女性を朝丘雪路が演じているのも見逃せない。
「知床慕情」
(第38作、1987年8月)
北海道で、武骨で偏屈者の獣医・順吉(三船敏郎)と出会い、家に居候する寅さん。そこへ、娘りん子(竹下景子が東京から帰ってきた)。離婚したのだという。もともと結婚に反対だった順吉は優しく迎えることができない。だが寅さんがいたお陰でその場は納まる。一方で、順吉は地元のスナックのママ(淡路恵子)に恋心を寄せていた。北海道の美しい自然を背景に描かれた本作。「世界のミフネ」の存在感は圧倒的だ。
上級編
寅さんの交友関係はとても広い。全国各地を旅しているからこそ、いろいろな人と知り合ったのだろう。演じた役者もバラエティーに富んでいる。「えっ?こんな人が」と驚くような人たちが登場している。
「フーテンの寅」
(第3作、1970年1月)
信州・木曽の旅館で風邪をこじらせてしまった寅さん。布団を運ぶ女性を樹木希林(当時は悠木千帆)さんが演じる。「男はつらいよ」シリーズが始まる前はテレビドラマで何度か共演した樹木さん。見合いの相手を渥美が演じたこともあったという。プライベートでは渥美清と一緒に三流どころの花街や、浅草のゲイバーに遊びにいったことがあったそうだ。
「寅次郎恋歌」
(第8作、1971年12月)
「馬鹿だねえ。ホント馬鹿だねえ……」。しみじみとおいちゃんは嘆くが、風来坊のおいっ子を心から愛していた。初代おいちゃんを演じたのは浅草軽演劇出身の森川信。飄々(ひょうひょう)とした演技で人気を集めたが、72年3月、60歳で急逝したため本作が遺作となった。観客動員は148万人。シリーズ8作目にして初めて100万人を突破した。マドンナ役はベテラン池内淳子さん。寅さんにはっきりと好意を寄せた、喫茶店の経営者を演じた。
「寅次郎紙風船」
(第28作、1981年12月)
寅さんの稼業は露天商。各地の縁日や祭りを回るテキヤだ。風が吹けば風に泣き、雨が降れば雨に泣く。明日をも知れぬ身。「そんなテキヤの哀れさが一番出ていた作品」と本作に出演した小沢昭一さんは言っていた。演じたのは商売仲間で病の床にふせっている常三郎。寅さんが見舞いに行くと、「万一、俺が死んだらくさ、あいつば女房にしてやってくれんと」と頼まれる。常三郎の妻を演じたのは音無美紀子さんだ。
「寅次郎サラダ記念日」
(第40作、1988年12月)
冒頭、ほんのワンシーンだが、若き日の出川哲朗が出ている。長野県小諸市でのお祭りの場面。寅さんのテキヤ仲間・ポンシュウとともに映っている。実は、寅さんシリーズの隠れた「準レギュラー」。第37作「幸福の青い鳥」(86年)、第38作「知床慕情」(87年)、第39作「寅次郎物語」(同)、第41作「寅次郎心の旅路」(89年)、そして公開中の第50作「お帰り 寅さん」では出版社の社員を演じている。
番外編
寅さんを演じた渥美清さんが亡くなったのは1996年8月4日。その前年に公開された作品が遺作となった。進行するがんと闘いながら撮影に臨んだ渥美さん。だが、「役者は私生活を明かしてはいけない」という信念から誰にも病状は知らせなかった。渥美さんの魂がこもった一作。
「寅次郎紅の花」
(第48作、1995年12月)
阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区で炊き出しを手伝うなど、ボランティア活動に励んでいた寅さん。村山富市首相(当時)と一緒に避難所を訪れる場面もある。CGによるニュース映像との合成だ。
撮影にあたって当初、山田洋次監督(88)は悩んだ。「大惨事の記憶も生々しい場所で撮影していいのか」。だが地元は「寅さんを見て、元気になりたい」。ひとりの青年が避難所を回り、16ミリの寅さん映画を上映していた。
神戸のほかに主な舞台は奄美。リリー(浅丘ルリ子)は旅回りの歌手をやめて資産家と再婚したが、先立たれる。その遺産で奄美の加計呂麻島に小さな家を購入した。そこに寅さんが転がり込み、物語は展開する。寅さんとリリー。今度こそ結婚するのだろうか。(編集委員・小泉信一)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル