もしも、新型コロナウイルスが、世界を襲わなければ……。メディア恒例の一年を振り返る企画は、良くも悪くも「東京五輪開催」の話題が独占しただろう。
この連載も「東京2020」というオリンピック開催を機に、日本社会を改めて様々な角度から見つめ直す――という目的でスタートした。
初回の2019年4月から今年2月までは企画にのっとり、様々な方向に視線を投げて、日本という国を再認識する話題を取り上げた。
念頭に置いたのは、「東京五輪を我々はどうとらえるべきか」だった。ところが、3月にコロナ禍の問題を取り上げた頃から「五輪延期」が取り沙汰されて、同月30日に正式に1年延期となって、テーマは変化した。
社会の注目は未曽有の危機をもたらした新型ウイルスに集中した。世界規模では感染者数が7800万人を突破、死者も170万人を超え、終息のめどは立っていない。
秋葉原に立って見えたもの
19年4月にこの連載に取りかかる頃、日本という国が加速度的に変化し、「同じ時間を生きている感覚が希薄になりつつあるのではないか」という危惧を抱いていた。そして、連載初回で秋葉原に立ったのは、我々の価値観を激変させた“立役者”の一人である安倍晋三前首相にとって“聖地”ともいえる場所だったからだ。彼はここで時に国民の“英雄”となり、時に非難を浴びた。
同時代性喪失の危機は新型コロナウイルスという災厄によって一体感を取り戻すに至っている。ところが、コロナ後も変わらない、いやますます激しくなったものがある。「自分は常に正しい側にいたい」という自己防衛の意識だ。そして人々は我が正義を叫びながらも、不安と恐怖、終わりが見えない混沌(こんとん)の中で、途方に暮れている。
ついに疲れきってしまったのか、今やどこか開き直った弛緩(しかん)状態が社会にどんどん蔓延(まんえん)している気がしてならない。
ほんの1年前まで、私は近い将来、日本を襲うであろう様々な危機の可能性を指摘し、「このままの状況が続けば、日本は近い将来、大変な時代を迎える。だから、それに備えて、一歩先んじた対策を講じるべきだ」と訴えてきた。実際、発表する小説の多くも、「巨額な財政赤字」や「エネルギー危機」などを取り上げ、「未来への警鐘」をテーマにしてきた。その行為は、どこか「オオカミ少年的」に捉えられ、「危機をあおりすぎ」だという批判を受けたこともあった。
- 危機に弱かった日本社会
- 後半では、真山さんが2011年から続ける私塾「真山ゼミ」に集まる大学生や社会人らとのやりとりが展開されます。日本の危機に対する意識が薄く、保守的で現状肯定が目立つ若者たち。真山さんが彼らに訴えたいものとは、何なのでしょうか。
だが、新型コロナウイルスが蔓延して、あまりにも危機に弱い日本社会が露呈してしまった。まさかの事態への備えを「無駄遣い」と切り捨て、危機対応の準備がおざなりだったことが顕在化してしまった。
だから言わんこっちゃない、と…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル