苦境の七夕祭りにとんでもない新人 31歳が込める「恩返し」の意味

 「日本三大七夕まつり」の一つに数えられる神奈川県平塚市の「湘南ひらつか七夕まつり」が、7日に開幕する。

 中心商店街にずらりと並ぶ豪華な七夕飾りで知られるが、参加店舗の減少が進み、いかに規模を維持するかが関係者の悩みの種。

 そこに若手の七夕飾り作家が彗星(すいせい)のごとく現れ、その完成度も相まって話題となっている。いったい何者なのか。

市役所に「七夕飾りを掲出したい」

 平塚七夕は、空襲で焼け野原となった平塚の復興まつりを前身に、戦後間もない1951年に始まった。

 当初は商店街の店の従業員らが総出で作るくす玉や吹き流しなどの素朴な飾りだったが、次第に電飾や大がかりな仕掛けを競うようになり、最盛期の93年には361万人もの見物客を集めた。

 しかし、バブル経済の崩壊や商店街の不振、従業員の高齢化などで撤退する店が続出。90年代後半からは飾りの減少が目立つように。

 地元では、資材とノウハウ、作業場を提供して市民につくってもらう「市民飾り」を始めたり、市全域の企業に出品を募ったりと模索が続いてきた。

「おじいさんかと思ったら…」

 そこに現れたのが、都内でデ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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