苦渋の「失踪宣告」 救えなかった叔母、とっておいた青のブラウス

 記録的な大雨で河川が氾濫(はんらん)し、甚大な被害をもたらした熊本豪雨から3年。被災地ではいまも、行方がわからない人がいる。家族たちは区切ることのできない思いも抱えたまま、大切な人の帰りを待ち続けている。

 熊本県芦北町の城文博さん(76)と妻の裕子さん(74)は4日、町の東のはずれにある球磨(くま)川沿いの住宅を訪れた。

 建物に窓ガラスはなく、床板ははがれ、室内には濁流にのまれた跡がくっきりと残っている。

 ここに、当時89歳だった叔母の幸恵(さちえ)さんが一人で暮らしていた。

 2人はユリとコチョウランの花束を花瓶に生け、手を合わせた。「この家がここにある限り、会いにきますから」

 幸恵さんや文博さんの家族は代々、この場所で暮らしてきた。年は離れていたが、幸恵さんは「姉のような存在」だった。文博さん夫妻に2人の男児が生まれ、弟の世話で裕子さんがてんてこまいしていると、幸恵さんが自分の勤め先の役場まで長男をおんぶしていって面倒をみてくれた。

球磨川が好き」誘われても残ったふるさと

 文博さん家族が町の中心部に…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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