《英国が世界の核のごみ箱になる》。1975年10月、日英が水面下で進めていた再処理交渉を英紙がスクープした。日本の電力会社が用意する資金をもとに英核燃料会社(BNFL)が再処理工場を建て、使用済み核燃料を輸送する計画だった。
当時の朝日新聞に、日本原子力発電会長の一本松珠璣(たまき)の談話が載った。後に青森県六ケ所村に建つ再処理工場ができるまでの「つなぎ」として英国での再処理が必要とし、「年度内には話をつけたい」と語った。
だが、逆風が吹いた。
日本側「貯蔵だけでも契約したい」
77年に核燃料からプルトニウムを抽出する再処理に反対する米カーター政権が発足。英国立公文書館所蔵の秘密文書によると、77年3月末、米国の新政策を伝えられた英政府は「5億ポンド(当時のレートで約2400億円)に上る再処理契約もなくなり、英国の再処理工場も必要なくなる」と硬化した。
約3週間後、米高官が米国産の核燃料を再処理する日英の大型契約に難色を示すと、英政府は「米国が契約に拒否権を発動すれば、英米間で大きな問題になる」と懸念する。さらに英国内の世論の反発を受け、再処理工場の建設を巡る公聴会の設置を決めた。工場の完成自体が危ぶまれた。
BNFLが英政府に出した文…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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