「政府の動かし方」知ったアルジェリア人質事件
一方で、菅氏は権力を操るためのふたつの武器をしっかり手にしていた。「情報」と「人事」である。 情報を統御する契機は、第2次安倍政権発足直後の2013年1月に起きたアルジェリア人質事件だった。イスラム武装勢力がアルジェリア内陸部でエンジニアリング会社の日揮などが運営する天然ガスプラントを襲撃し、日本人10人を含む人質37人が亡くなった。 全国民の視線が犠牲者に向けられるなか、菅氏は一元的に情報を管理し、「前例がない」と抗う外務省や防衛省の事務方を押さえつけて被害者の帰国に向けた政府専用機の派遣を決める。安部首相が決断できるお膳立てをした。初回のインタビューで菅氏はこう語った。 「アルジェリア政府からの(日本人犠牲者の)情報は(人数が)少なかった。それを信用しなかった。別ルートからも情報が入ってくるし、(事件の)現場にも携帯電話を持っている人はいた。そこから本社に連絡も入る。 テロリストは都合のいい情報を通信社に流す。うかつに日本人が何人(犠牲になった)とは言えない。数字は独り歩きします。そこがきつかった。記者会見で詰め寄られ、『厳しい情報に接している』と私は曖昧にし、閣僚がバラバラの発言をしない仕組みをつくった。あれで政権の動かし方が分かってきました」
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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