ネオンに包まれる首都・東京の繁華街。藤山粋さん(47)がその一角にある深夜営業の飲食店で働き始めたのは、大学進学で上京してまだ間もないときだった。
夕方に目を覚まして店に行き、朝まで働いた後、出勤途中の会社員とすれ違いながら自宅に帰る。
大学は獣医学校だったが1年半で辞め、夜の仕事にのめり込んだ。
そんな生活も、もう9年近く。
十分な稼ぎもあり、なんの不自由もなく暮らしていた。
ある日、いつも通り朝方に家へ戻り、郵便受けをのぞくと、1通の手紙が目に入った。
差出人には、鹿児島県霧島市の和牛農家である父の名前があった。
「電話もメールもあるのに、なんでわざわざ直筆?」
封を切ると、こんなことが書かれていた。
地元の繁殖農家の間で頼りにされてきた家畜人工授精師が火事で亡くなったこと。同業の父がその分の仕事を引き受けているが、年のせいもあって手が回らないこと……。
4枚の便箋(びんせん)は、こう結んでいた。
「東京で10年好きにしてきただろう。そろそろ帰ってこないか」
読み終えても、「へぇ、そうなんだ」と思ったぐらい。まったく心は動かなかった。
牛の人工授精に取り組む授精師をしながら、家で牛を育てる父の姿を幼いころから見てきたが、自分にとって牛飼いは「将来なりたくない職業ランキング1位」だった。
朝早く家を出て、帰りは夜遅く。急な分娩(ぶんべん)にもかり出される不規則な生活で、父は点滴を打って仕事に向かっていた。
そもそも、大学を中退した自分に「勘当だ」とまで言い放ったのは、父の方だ。
進学したのも、獣医になればもうかるだろうといった別の考えがあったからで、はなから実家を継ぐ気はなかった。
華やかな都会での生活も気に入っていた。ここから離れるつもりもなかった。
新たな生活、悔しくて涙を流す日々
ただ、交際していた彼女に手紙を見せると、思わぬ言葉が返ってきた。
「ここまで頼まれて何も響かないなら、あなたは本当の親不孝者になるよ。ここで実家に帰らなかったら、私は半年後にあなたと一緒にいる未来が描けない」
そう言われた瞬間、なぜか…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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