被爆の経験を「今も健康だし、あまり苦労はしなかった」と振り返るが、家族の話となると途端に表情が曇る。そんな広島県福山市の仲井(旧姓森本)昭子さん(82)に話を聞いた。
1945年の夏は広島駅近くで両親と2人の兄、姉との6人暮らしだった。父は当時の国鉄の職員だった。父が寮長を務める2階建ての寮で、若い職員も10人ほど暮らしていた。当時、昭子さんは4歳だった。大きな風呂は「プールのようでした」という。
8月6日朝、家族は遅めの朝食をとっていた。次男の修さんと長女の笑子さんは国民学校が休みだった。父も夜勤明けで家にいた。
長男で広島市立造船工業学校1年の聡さんだけ、動員先に出ていた。
午前8時15分。ドス、ドス…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル