長崎で被爆し、自らの体験を描いた紙芝居などを通して核廃絶を訴えた漫画家で、元日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長の西山進(にしやま・すすむ)さんが6日、心不全で亡くなった。94歳だった。故人の遺志で葬儀は行わない。
17歳の時、爆心地から約3・5キロの三菱長崎造船所で被爆した。翌日には救援隊の一員として爆心地付近を通っており、戦後、脱力感や倦怠(けんたい)感に襲われ、苦しんだ。「原爆ぶらぶら病」と呼ばれた、被爆者特有の症状だった。
漫画家として本格的に活動を始めたのは1960年代から。労組や市民団体に関わる仕事を受けた縁で被爆者運動に携わるようになり、自らの被爆体験を描いた紙芝居で子どもたちに講話したほか、世界各地を回って核兵器廃絶を訴えてきた。
79年からは40年あまりにわたって、4コママンガ「おり鶴さん」を日本被団協の月刊新聞に連載し、被爆者の日常や世相を描いた。この間、日本被団協の事務局次長も務めた。
それらの作品を収録した単行本「おり鶴さん 漫画で描きつづけた被爆者の戦後」(書肆侃侃房<しょしかんかんぼう>)が今年出版され、「一人でも多くの人に恐ろしさを伝えたい」と話していた。
福岡市内の高齢者施設で暮らしていたが、関係者によると、先月に体調を崩し、入院していたという。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル