裁判員の国民感覚と先例に距離… 神戸・女児殺害の死刑判決破棄(産経新聞)

 平成26年の神戸市長田区の小1女児殺害事件で、最高裁決定は、裁判員裁判の死刑判決を覆した高裁判決を支持した。国民の常識を刑事裁判に反映させることを目的に導入された裁判員制度の施行から10年。死刑については、裁判員が苦慮を重ねて出した結論よりも、プロの裁判官による「死刑適用基準」を重視する傾向は顕著となった。

 裁判員制度導入後、死刑以外では、1審の裁判員裁判の結論を上級審でも重視する「1審尊重」の流れが定着している。

 しかし、死刑をめぐっては事情が異なる。被害者が1人の殺人事件で、計画性がない犯行に死刑判決が出た場合は、過去の基準に従って上級審で破棄されてきた。最高裁司法研修所も24年7月、過去の量刑判断を尊重するよう求める研究報告を示している。

 最高裁は今回の決定でも「死刑は究極の刑罰で、その適用は慎重に行われなければならない」と指摘した。

 死刑求刑事件で量刑の判断基準となっているのが、永山則夫元死刑囚=9年執行=が起こした連続4人射殺事件で昭和58年に最高裁が示した「永山基準」。(1)犯罪の性質(2)動機(3)犯行態様(4)被害者の数など結果の重大性(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状-の9項目を総合的に考慮し、やむを得ない場合に死刑選択が許されるとしたものだ。この中で、特に重視されてきたのが(4)の被害者の数だった。

 これまで被害者1人で死刑が確定したのは仮釈放中の無期懲役囚によるものや身代金目的誘拐の計画的事件など。今回の事件では、その犯行の計画性をめぐり、1審裁判員裁判とプロの裁判官による2審の高裁で評価が分かれた。

 1審は「残虐性が極めて高く執拗(しつよう)」と指弾し、計画性について「刑を軽くする事情とみることはできない」と判断。これに対し、2審は殺害行為の計画性が認められないことを重視。被害者が1人の同種事件では死刑が選択されていない傾向がみてとれるとにも言及し、死刑回避を選択した。

 ただ、1審もプロの裁判官が加わっていないわけではない。裁判員裁判の評議では、裁判員6人と裁判官3人全員の意見が一致しない場合は過半数の多数決で結論を決めるが、死刑判決を含め量刑は裁判官が最低1人加わっていなければならない。

 プロの裁判官のみによる上級審が、「公平性」への強い意識から先例を重視するあまり、裁判員が苦悩の末に導いた結論が否定されるケースが相次げば、本来の裁判員制度の意義も揺らぎかねない。過去の判例との公平性を考慮しつつ、峻烈(しゅんれつ)な遺族感情や国民感覚を反映させるための議論を始めるときに来ているのではないだろうか。(大竹直樹)

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 神戸小1女児殺害事件 神戸市長田区で平成26年9月11日午後、市立小1年の女児=当時(6)=が学校から帰宅後に外出して行方不明になり、同月23日、自宅近くの雑木林で遺体が見つかった事件。殺人罪などで近くに住む無職、君野康弘被告(52)が起訴された。1審裁判員裁判では「死刑を回避する事情は見当たらない」として死刑を言い渡されたが、2審判決では「計画性は認められない」などとして無期懲役に減軽された。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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