覆面レスラー、父の後継ぎプラモ開発 家業の金型で町工場再生に挑む

 新潟名物のささ団子色のコスチュームと覆面を身にまとうプロレスラー「スーパー・ササダンゴ・マシン」。その正体は、創業71年になる新潟市東区の金型メーカー「坂井精機」の社長、坂井良宏さん(45)だ。謎めいた覆面レスラーが誕生したきっかけは、大手術に臨む父親にかけられた言葉だった。

 試合前のマイクパフォーマンスでは、経済用語を駆使しながら試合プランなどをプレゼンテーションし、会場を沸かす。得意技は「垂直落下式リーマン・ショック」。相手の頭部を片脇に抱えた状態でそのまま後ろに倒れ込み、大きなダメージを与える。

 キャラの立った覆面レスラーは、新潟市の地域密着プロレス団体「新潟プロレス」の大会で“こっそり”とデビューした。2012年10月のことだ。

 それからさかのぼること約3年。当時は東京を拠点に、「マッスル坂井」の名で覆面を着けずにリングに上がっていた。裏方として興行の演出の手伝いもしていて、充実した日々を過ごしていた。そこに実家から電話がかかってきた。

 「ダメかもしれない」

 坂井精機の社長だった父親が心筋梗塞(こうそく)で倒れた。63歳だった。急いで新潟市内の病院に駆けつけ、心臓バイパス手術を受ける直前の父親を見舞った。

 長男ゆえに、会社を継いでほしいと事あるごとに言われていた。今回は断れない、と覚悟した。

 病室で父親は言った。

 「お前は東京で、応援してくれるお客さんや仲間のために続けなきゃダメだ。経営というのは、継続することなんだ。継続することが仕事なんだ」

 意表を突かれた。そして思った。仕事一筋に生き、継続することの大切さを説く父親の人生が、会社を畳んで終わるのでは悲しすぎる、と。会社を継ごうと決めた。引退を発表し、一度はリングを去った。

 だが、専務として働き始めて間もなく、会社の休日とプロレスの興行日が重なることに気づいた。リングに戻りたくなった。でも、引退興行をした後ろめたさがあった。「覆面をかぶって新潟で復帰すれば、ばれないんじゃないか」。やってみるとすぐに東京に伝わり、新キャラで声がかかるようになった。

 20年6月、コロナ禍が深刻化する中で社長になった。景気が冷え込んで金型の受注が減る中、社運を賭けてスーパー・ササダンゴ・マシンのプラモデルを自社開発することにした。

 構想は帰郷した時からあった。社内の技術者が受注をこなすのに手いっぱいで実行できなかったが、偶然にもチャンスが訪れた。

 出来上がったプラモは12分の1スケールで、6色に色分けされたパーツが約100個ある。組み立てると152ミリになる。12カ所の関節が動き、好きなポーズをとらせられる。「体の硬さは本人譲り」という。

 一箱税込みで5500円。今は3Dプリンターで作られた精巧なフィギュアが比較的安く買える。そうした中、アニメのキャラのようにややデフォルメされた中年レスラーのプラモは、挑戦的にも映る。

 「面白さがわかってくれる人に買ってもらえればいい」。本人はそう言うが、グッズ販売サイト(https://sasadango.thebase.in)で今年1月に正式発売して以来、約3千個が売れた。意を強くして、年内にもう一体、敵役のプラモの発売を計画している。

 町工場を取り巻く環境は厳しい。手術が成功し、今は会長の父親(76)とタッグを組み、経営に当たる。あの日、病室でかけられた言葉を胸に刻んで。(茂木克信)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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