香港と日本のミックスである友人と、アメリカと日本のミックスの私。 同じミックスルーツをもつ私達でも、彼女は「ミックスに見えない」ゆえの差別を受けていたーーー。 見えない差別を目の当たりにして気づいたこととは?大学院生のあんなさんがハフポスト日本版に寄稿しました。 ———————- 「自分がされて嫌なことは人にしてはいけません」 幼い頃からそう言われて育ってきました。人と接する時は想像力を膨らませ、自分がそれをされたら、言われたらどういう気持ちになるかを考えて接するようにしてきました。しかし、実はこれでは不十分なのだと気付いたのはつい最近のこと。
人生のほとんどを「孤独」の中で過ごしてきた
自分がアメリカと日本のミックスルーツであることによって、私は人生のほとんどを独特な孤独感のヴェールに包まれて生活してきました。家族から愛されているし、友達だっている。けれども、本当の意味で自分のバックグラウンドを共有できる人は周りにいませんでした。 小学校から高校までアメリカで育った私ですが、私が育ったのは主に白人が多い地域で、現地の学校で日本のルーツを持っているのは小・中・高を通して私だけでした。毎週土曜日に日本語学校にも通っていましたが、通学する学生は、駐在でアメリカに来ている家庭の子供が圧倒的マジョリティ。もちろん、ミックスの子がいないわけではなかったのですが、彼らの多くはアメリカ生まれアメリカ育ち。日本語がうまくできないため、「国際クラス」というクラスに入っており、私がいる普通科クラスではミックスの学生はとても珍しかったのです。国際クラスと普通科クラスはなかなか接点がなく、年に一度の運動会で顔を合わせる程度。友人にはたくさん恵まれましたが、日本語学校でもまた、自分の経験やアイデンティティをシェアできそうな戦友に巡り合うことはできませんでした。 やっと私と同じミックスルーツの友人ができたのは、高校を卒業して日本の大学に進学した時。この出会いは私の人生においてとても重要なものとなりました。驚かれるかも知れませんが、親とも「ミックス」であることを共有していない私たちにとって、同じ背景を持つ人と出会う機会は非常に稀なのです。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース