太平洋戦争末期の沖縄戦で、天皇を筆頭にした皇族の写真「御真影(ごしんえい)」を戦火から守るための部隊があった。「御真影奉護(ほうご)隊」。山中には今も御真影を隠した壕(ごう)が残り、子どもたちの命より「天皇の分身」を優先した時代を伝えている。23日、沖縄は令和最初の「慰霊の日」を迎える。
沖縄本島北部の名護市中心部から車で40分ほどの山あい。道路から草をかきわけて5分ほど進んだ山の斜面に、高さ1メートル強の壕の入り口が現れた。周囲は亜熱帯の植物が生い茂り、昼間でも薄暗い。落盤の危険があるため、鉄柵でふさがれている。
「その壕に、沖縄本島各地の学校から集められた御真影を『奉護』しました。壕の前に小屋を建て、交代で先生たちと寝ずに番をしていました」。沖縄県北中城村(きたなかぐすくそん)の屋比久(やびく)浩さん(88)は証言する。
御真影は戦前、文部省から教育勅語とともに全国ほとんどの学校に配された。「奉安殿」と呼ばれる建物に収められ、児童たちは前を通るだけでも深々と敬礼しなければならなかった。「御真影を直視したことがない。最敬礼中にちらっと見ただけで、同級生がものすごく怒られていたので」と屋比久さんは振り返る。
■見れない、触れない、「決して…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル