犯罪被害者と加害者に、対話の場を――。加害者家族を支援するNPO法人代表や交通遺族など7人が、任意団体「犯罪に巻き込まれた人々の支援」(仮)を11月に立ち上げた。そのうちの1人が、1983年に保険金目的で弟(当時30)を殺害された大分県の原田正治さん(74)だ。許せるはずもない加害者と重ねた「80分間の対話」でみえてきた「支援のかたち」とは。
――加害者と面会しようと思ったのはどうしてですか?
トラック運転手だった弟の明男を保険金目当てで殺した雇い主の長谷川敏彦・元死刑囚と面会したのは、事件から10年後のことです。「どんな顔をしているのかな、一度会ってやろう」と思いました。原則は面会できない死刑確定後も、手紙のやりとりをふまえて拘置所にお願いしたところ、所長の裁量で面会させてもらえました。
――面会ではどのようなやりとりがありましたか?
最初の面会時間は20分ほど。そばには刑務官がいるし、初めての経験だったので足が震えました。あっという間に終わってしまい、相手の言葉を聞くだけで精いっぱいでした。「バカヤロー」と言葉をぶつけようと思っていたのに、言えませんでした。
ただ、長谷川君は「申し訳ありませんでした」と繰り返し、「これで私はいつでも喜んで死ねます」と言いました。私の目を見て、面会部屋で同じ空気を吸うなかで謝罪の言葉を聞いたのは、私の中では大きいことでした。それまでも手紙はたくさんきていましたが、100通の手紙より、1回の面会のほうが気持ちが伝わってきました。
遺族として死刑執行の停止求める 「もっと話したい」
――その後も面会を重ねたのは、気持ちに変化があったからですか?
必死に謝る長谷川君と話しているうちに、こちらの気持ちも、なんだか溶け出していく感覚を覚えました。でも、許したわけではないんです。今でも絶対に許せない。最大の被害者は弟ですが、僕も事件を受け入れられなくて、お酒をたくさん飲むこともありました。事件が起きて、妻とも離婚してしまいました。僕の人生も壊された。許せるはずがない。
でも、なぜ弟が殺されなければならなかったのか。「加害者と話をしないと何もわからないのではないか」と思い始めました。
――長谷川死刑囚は2001年12月に死刑が執行されました。葬儀にも出席したそうですね。
面会は結局計4回、全部で8…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル