記者が潜入した日雇い現場の「悪」 手配師が確認した耳裏の日焼け

 ジャーナリスト大谷昭宏さん(78)は読売新聞記者時代、大阪市西成区釜ケ崎で「潜入取材」をした経験がある。

 当時27歳。西成区を担当する南大阪記者クラブに所属していた。

 天王寺動物園の中にあり、通称・動物園記者クラブ。記者室は鳥舎近くのボイラー室の2階にあった。

 なぜカマ(釜ケ崎)で暴動が繰り返されるのか。日雇い労働者らのうっぷんがなぜたまるのか。

 「体で感じてきたらどうや」。原稿を見てもらうデスクから指示され、劣悪な労働環境とピンハネが問題になっていた日雇い労働の現場を取材することにした。

 1972年7月10日の早朝、日雇い仕事などをあっせんする西成労働福祉センターを訪れた。

日当1900円 見られた耳裏の日焼け

 選んだのは、日当が1900円と、目立って安かった製鉄所での仕事。

 「仕事がほしい」と手配師に伝えると、じろじろ見られた。「ここらのもんやないやろ」

 チェックされたのは耳の後ろの日焼け。日雇いの仕事を続けていたら耳の裏も黒いが、自分は違う。「訳ありでここに来ました」と言うと、バスに乗ることができた。

 車内では名前を書かされたが…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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