広島に原爆が投下されて、6日で74年。広島市で開かれる平和記念式典には、今年も各地から被爆者や遺族の代表が参列する。世界では核兵器廃絶と逆行する動きもある。どんな思いを胸にヒロシマを訪れるのか尋ねた。
※被爆者代表4人のうち1人はコメントなし。遺族代表の「=」以下は故人の続き柄・名前・死亡時の年齢・没年。1日現在、岩手、山形、福島、栃木、群馬、富山、福井、鳥取、徳島、宮崎、沖縄の11県は遺族代表の参加がない。
「もっと聞いておけば」被爆者代表の声
広島市中区 清水克徳(82) 真っ黒な遺体にガソリンをまいて焼いていた光景を鮮明に覚えている。人間がいかにむごい死に方をしたかを知ってほしくて語り部もした。原爆は戦争があったからこそ生まれた。平和が一番だ。
北広島町 斉藤美千子(76) 自宅で被爆時、覆いかぶさってくれた母の背中にはガラスがたくさん刺さった。父は被爆の影響で2年後に亡くなった。あのとき死んでもおかしくなかった命。犠牲者を思いながら献花したい。
福山市 平逸雄(74) 生後2カ月で被爆した。今年2月に、父の被爆体験記の存在を知った。初めて知る事実も多かった。もっと聞いておけばよかったという思いが年々強くなっている。何か活用できないか考えたい。
「父の見た風景感じたい」都道府県遺族代表の声
北海道 吉田美紀子(63)=父・宮下俊治(95)・18年 父は無口で被爆についてほとんど語らなかったが、病弱だった私が体を壊す度に被爆の影響では、と心配した。広島市に行くのは初めて。父の見ていた風景を感じたい。
青森 藤田和矩(73)=母・俊子(21)・46年 数年前、被爆者だった父も亡くなり、2人への追悼の思いで参加したい。核兵器禁止条約に署名しない日本政府は間違っている。子や孫のために声をあげないといけない。
宮城 伊藤勝(80)=叔母・石亀エミ(27)・45年 叔母には遊びに行った時に可愛がってもらった記憶がある。宮城県内の被爆者らの平均年齢も80歳を超え、伝承できる人が少なくなってきたが、風化させてはならない。
秋田 柴田敦子(64)=父・正博(93)・18年 広島で入院中に被爆したと聞いた。初参加の式典には、父の写真を持って行きたい。投下数日後に原爆ドームに行って建物内部を見たという話は覚えており、見ておきたい。
茨城 茂木貞夫(85)=父・嘉勝(80)・68年 証言活動をしているが、最近は涙を流す人が減ったように思う。関係ない出来事と思っているのではないか。若い人たちには、もし自分の身に起きたら、と想像してほしい。
埼玉 佐伯博行(75)=父・…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル