首都の治安を担う警視庁は15日、1874(明治7)年に創設されてから150年を迎えた。事件・事故の最前線で対応し、現在4万人超を抱える巨大組織は、変化を続けてきた。
警視庁の前身「東京警視庁」が創設されたのは、明治時代初期の急速な近代化に伴い、複雑化する治安への対応が迫られたためだ。日本の警察制度の生みの親とされる川路利良が欧州を視察し、東京に首府警察をつくるべきだと政府に建議したのが始まりという。
1874年に東京・鍛冶(かじ)橋(現在の東京駅近く)に東京警視庁が設置され、初代大警視(現在の警視総監)に川路が任命された。当時は国の政治上の秩序を乱す国事犯については警視庁に執行の権限があり、西郷隆盛らによる士族の反乱「西南の役」などにも対応した。
大正時代に入ると、徐々に現在の姿に近づいてくる。交通信号機の使用やオートバイ(通称赤バイ)による取り締まりが始まったり、刑事部ができたりした。
1923年の関東大震災で、鍛冶橋から移転した日比谷赤れんが庁舎は焼失。31年に完成した旧桜田門庁舎は青年将校らによるクーデター未遂事件で占拠された「2・26事件」(36年)などを経て77年まで使われた。
戦後、警察法が施行され、110番制度やパトカーの運用も始まった。世界情勢の変化や経済発展とともに事件の様相も変わってきた。
60年安保闘争を始め、東大安田講堂事件(69年)、あさま山荘事件(72年)などでは多くの警察官が対応し、死傷者も出た。白バイの警察官を装った男に現金輸送車が強奪された「3億円事件」(68年)は今も未解決だ。
高度成長期、バブル景気が終わり、90年代に経済が停滞し始めると、世相を反映するような事件が相次いだ。
警視庁の創設140年を機に、警視庁職員や国民を対象に実施した重大事件を選ぶアンケートでは「オウム真理教事件」が1位だった。95年に地下鉄に猛毒サリンをまき、6千人以上の死傷者を出す前代未聞の事件などがあった。
いまも未解決の殺人事件もこのころに起きた。95年には八王子で女性店員ら3人が射殺された事件、96年に葛飾区で上智大生が殺害された事件、2000年の年末に世田谷区の一家4人が殺害された事件などだ。
02年をピークに刑法犯認知件数は減少傾向にあるが、特殊詐欺やサイバー攻撃といった新しい形の犯罪への対応が課題となっている。
警視庁は東京都内を管轄するが、全国の事件や災害に関わることも少なくない。11年の東日本大震災では、発生から3年後までに被災3県に約2万5千人を派遣した。(田内康介)
明治23年の刑法犯認知件数は3万247件
警視庁150年の歩みを、数…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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