2012年7月の九州北部豪雨で流された寺にあった観音像を安置する観音堂が、熊本県阿蘇市一の宮町坂梨で完成した。土地は、5人が犠牲になった家の跡地を遺族が提供。8月24日、地域の門徒が集まって開帳の法要を営んだ。
観音像があった浄土寺のある地区では6人の犠牲者が出て多くの家屋が全半壊した。住職がおらず門徒たちで大事に守ってきた寺も本堂ごと土砂に押し流された。数日後、復旧作業にあたっていた男性が、本堂があった場所から数百メートル先の土砂の中から木彫りの観音像2体を発見した。本堂に鎮座していた3体のうち、本尊の観音菩薩(ぼさつ)像(高さ125センチ)と、十一面観音像(同55センチ)だった。
観音像は800年ほど前に作られたと伝えられ、60年に1度だけ開帳されてきた。信徒会総代表の市原正・市議によると、発見時には両腕がなくなっていたが、災害に遭ったことも像の歴史として残す方がいいと、修復はしないことにした。
安置する観音堂の新設に向け14人の門徒で話し合いを重ねたが、寺のあった所は今後の災害を防ぐために県がつくる砂防堰堤(えんてい)用地に含まれるため、新たな場所を探していた。そうした中、その近くにあった実家で母らを亡くした古木光教さん(55)が、実家跡地に建ててもらうことを申し出た。
古木さんの実家は7年前の7月12日、土砂に押しつぶされ、母のエイ子さん(当時76)、兄の国隆さん(同49)とその子供ら計5人が犠牲になった。古木さんはその後、母から引き継いで浄土寺の門徒となった。観音堂をつくることで「母や兄ら犠牲になった皆の供養になれば」と話す。
今年6月に着工。元の寺の用地売却益などを建設費にあてた。古木さんの希望もあり、観音堂の横には今後、桜の木を植えることにしている。古木さんによると、エイ子さんは花が好きで庭にいろいろな花を植えていた。「将来、ここで家族で花見をしてその姿を母たちに見せたい。きっと喜んでくれると思う」
観音像は翌25日も開帳された。次の開帳は本来の予定だった2035年になるという。(後藤たづ子)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル