【MINAMATA ユージン・スミスの伝言】ユージンが見つめた人々の勇気と不屈の魂
米国人写真家ユージン・スミスが水俣の地を踏み、今年9月で半世紀がたった。彼が写真で伝えた水俣病に、世界はどう向き合ってきたのか。
環境庁(現環境省)発足の契機となった水俣病は、経済への偏重が辺境で暮らす人々の人権を脅かす問題を世界に問い続けてきた。
水俣病の被害が拡大した1960年代、日本は高度経済成長をひた走る一方で「公害先進国」と言われた。67年制定の公害対策基本法で「経済の健全な発展との調和を図る」とする「調和条項」が盛られ、経済偏重から抜け出せないまま多くの被害者を生んだ。
「脱公害」にかじを切った70年の公害国会で条項は削除され、翌年に環境庁が発足した。だが、70年代後半の世界不況から80年代の小さな政府をめざす新自由主義への流れの中で、「日本の公害・環境行政は退潮した」と宮本憲一・大阪市立大名誉教授(環境経済学)は指摘する。
19年に世界で亡くなった6人に1人は環境汚染が原因
公害研究の先駆者である宮本…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル