責任を認めさせるまでは生きる 国や東電を提訴した男性の覚悟

 【山梨】東京電力福島第一原発事故から11年。故郷を追われた人の中には、国や東電の対応に納得できず、責任を問い続ける人たちがいる。「10年経た今だからこそ」と昨年裁判を起こした避難者を訪ねた。

 福島県飯舘村の元職員、菅野哲(ひろし)さん(73)。父が苦労して開拓した農地を守ろうと、退職後に農業に挑戦。野菜の栽培が順調にみえた2011年、豊かな実りをもたらしてきた土地を、突然奪われた。

 40キロほど南東にある原発が爆発、高濃度の放射性物質が降り注いだからだ。その事実を研究者から耳にし、村民をすぐ避難させるよう役場に進言したが、聞き入れてもらえない。

 「村の水道や焼却施設を管理した経験もあったので、何が危険なのか分かっていた。『水を止めろ』とも伝えたが、すぐに動いてもらえなかった」

 国が村を避難区域に指定し、「全村避難」が始まるのに、事故から1カ月以上を要した。「国も東電も、県も村も、最初は『低線量だから安全』と言っていた。正確な情報を与えてもらえず避難が遅れ、村民は高線量の初期被曝(ひばく)を受けてしまった」

お金の問題じゃない

 菅野さんは14年、事故の賠…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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