赤い屋根は流された モスバーガー創業者の地元に再建した店舗の歩み

 大手ハンバーガーチェーン「モスバーガー」の創業者の出身地は岩手県大船渡市だ。東日本大震災当時、陸前高田市にあった陸前高田店は津波で流され、その後、後継店舗として大船渡店が完成し、営業を続けてきた。「復興のシンボル」だった同店は27日、節目を迎えた。開店10年――。

 前日の26日、大船渡店の開店10周年などを記念し、モスバーガーを運営するモスフードサービスの中村栄輔社長は達増拓也知事を表敬訪問した。中村さんは「(津波で流された陸前高田店について)なんとか復活させたいという思いだった」と当時を振り返り、達増知事は「モスバーガーの創始者が出身というのは岩手県の誇りだ」と話した。

 モスバーガーは、1972年に大船渡市出身の故桜田慧さんが東京都板橋区に1号店をオープンさせた。同市に店舗はなかったものの、陸前高田市の店舗は多くの市民に愛されていた。

 しかし、同店は東日本大震災の津波で店舗ごと流されてしまった。震災の半年前、改装の打ち合わせで同店を訪れていた中村さんは、店の赤い屋根が津波に流される写真を報道で見て、衝撃を受けたという。

 中村さんは震災の3週間後に再訪した。だが、街は様変わりしていた。「店を復興のシンボルにできないか」。早期に店を再開させたい思いをノートに書き連ねた。土地のかさ上げといった大規模な工事が行われる陸前高田市での再建は断念せざるをえなかった。代わりに創業者の出身地の大船渡市での再建を決めた。

 再建する店は、プレハブやコ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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