NPO法人はらまちクラブ理事長・江本節子さん
「震災10年」という言葉が今、メディアでよく流れています。もう元気になっているのに戻されたくない、静かに過ごしたいという気持ちもあれば、次のステージに進むために、この10年間の活動を総括したいという思いもあります。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、同居の息子家族は孫を連れて避難し、一人暮らしとなりました。悲しみよりは張り詰めた気持ちで、花がいつ咲いたのか、桜はきれいだったのかさえ、そのころのことは記憶にないのです。
えもと・せつこ 1946年生まれ、福島県南相馬市出身。2004年、同市で地域スポーツクラブを設立した。
被災地では原発事故由来の家族の分断によって、高齢者の一人暮らしや高齢夫婦だけの家族も多く出現しました。私は当時、南相馬市のはらまちクラブの運営とともに、福島県スポーツ少年団指導者協議会会長などの職にもありました。子どもたちやその家族に、「逃げなさい」とも「残りなさい」とも言えませんでした。自分の無力を嘆き、死にたくなるほど、つらい日々でした。
その後、私が元気になれたのは、いつ、どこで人生の最期を迎えても幸せだったと思える「ハッピーエンドデザイン」を描けたからです。30代のころから、私は「笑えるお葬式」がしたいと思ってきました。それは、ひつぎにいる故人のあいさつが披露されるお葬式です。そうだ! あいさつを書いておこう! 書き上げてびっくり。多くの人へ向けてのあいさつを言葉にしたら、一人暮らしの寂しさは吹き飛び、最後の一歩まで元気でいられるよう精進できる、明るく豊かな未来だけが出現していたのです。
2004年に設立したはらまちクラブでは、赤ちゃんから高齢者までが集える居場所をつくってきました。バレーボール、剣道、チアリーディング、ウォーキングや体操教室、健康を考える学習会など活動は様々です。12年には東北復興に向けた経済産業省の地域ヘルスケア構築推進事業の委託を受け、市内のショッピングモールに活動場所を設け「元気モール」と名付けました。5年前からは復興庁の「心の復興事業」の交付金を受け、なんとか活動をつないできました。
元気モールでしか笑えない、こ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル