軍が作った慰問雑誌、利用されたスターたち 太平洋戦争開戦82年

 戦地と銃後を結ぶ絆――。戦時中、そんなキャッチフレーズで、戦地の兵士の慰労を目的につくられた旧日本軍の組織があった。利用されたのは、当時の女性アイドルたち。「勇士様有難(ありがと)う」と雑誌の中で笑顔を振りまき、慰問団として最前線に赴く人もいた。太平洋戦争の開戦から、8日で82年となる。

 中央大学経済研究所(東京都八王子市)客員研究員の押田信子さん(73)は、「恤兵(じゅっぺい)部」の研究を続けている。日清戦争が始まった1894(明治27)年以降、恤兵部は陸軍省と海軍省につくられた。国民から金品を募集し、前線の兵士たちに娯楽品や嗜好(しこう)品を送るための組織だ。戦争の激化に伴い、組織は肥大化していく。

 「新聞の見出しにうたわれたのは『貧者の一燈(いっとう)』。貧しい人が額に汗してためたお金を献金するのは価値があると、国民は戦場に対する感情が揺さぶられたんです」

高峰三枝子原節子、李香蘭…笑顔ふりまくスターたち

 そんな恤兵金を原資につくられた雑誌があった。軍に委託された出版社が刊行した、「戦線文庫」や「陣中倶楽部」だ。押田さんはこれらの慰問雑誌を、出版社の資料室や大学・地域の図書館から探し出した。

 グラビアに登場するのは高峰…

この記事は有料記事です。残り925文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment