輪島の大家族は別々の生活を選んだ 子育てに不安、でも捨てない希望

【動画】輪島市から加賀市に2次避難している松岡さん一家=遠藤真梨撮影

能登半島地震3カ月 被災地の声

住まい、なりわい、地域のつながりはどうなるのか――。能登半島地震の発生から3カ月、石川県の被災者100人に取材したところ、みなさんが将来を見通せない中で暮らしている状況が浮かびました。それでも前へ進もうとしている被災地の声を紹介します。

 家族みんなで輪島へ戻りたい。でも、今のままでは戻れない。夫婦で何度そんなやりとりを繰り返しただろう。

 能登半島地震の発生から3カ月。石川県輪島市でスポーツインストラクターをしていた松岡和香子さん(39)は、自宅から約130キロ離れた加賀市の旅館に、建設会社員の夫、和裕(かずひろ)さん(42)と5人の子どもの7人家族で身を寄せる。

 あの日は、正月で集まった金沢市の親族宅から輪島に戻る途中で被災。道の崩落で進めなくなり金沢に戻った。後日、夫が輪島に行くと、自宅は全壊していた。

 2次避難を始めた1月中旬、旅館の滞在期限は「3月末まで」と聞き、思っていた。「その頃には最低でも水道が復旧して、輪島の仮設住宅に入れるんだろうな」

 だが、その通りにはならなかった。仮設住宅は戸数が少なく、順番は回ってきそうにない。

 小学3年の長男宗義君(9)と、2年の次男福友君(8)は、輪島の河井小学校に籍を置いたまま、加賀市の山代小学校に通学してきた。

 避難生活で伸びきった髪の毛。理容店で、宗義君がこう言った。

 「これから地震でお金もなくなるし、節約するために坊主頭になる」

 弟と2人で丸刈りになり、譲…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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