能登半島地震3カ月 被災地の声
住まい、なりわい、地域のつながりはどうなるのか――。能登半島地震の発生から3カ月、石川県の被災者100人に取材したところ、みなさんが将来を見通せない中で暮らしている状況が浮かびました。それでも前へ進もうとしている被災地の声を紹介します。
石川県輪島市町野町の金蔵(かなくら)地区は、95人いた住民が能登半島地震後に25人に減った。区長の井池(いのいけ)光信さん(68)は、困りごとを話し合える朝の会合を開いたり、集落への仮設住宅の建設を求める要望書を出したりして、集落の外で避難中の70人が戻ってきやすい環境づくりに走り回っている。
金沢市から車で北へ3時間半。ガタガタになった急勾配の道を進むと、棚田が広がる金蔵地区にたどり着く。
元日の激震で、集落に負傷者はなく、倒壊した建物は数戸だったが、全戸で停電、断水した。住民らが続々と自主避難所の集会所に集まった。
自衛隊がヘリで物資を運んでくれるまでの4日間、正月の食材を住民で分け合ってしのいだ。夜は、それぞれ集会所で雑魚寝したり、車中泊したり、傾いた自宅に戻ったり。
土砂崩れや道の損壊で集落は孤立しかかった。市中心部に抜ける道は3本あるが、何とか通れたのは1本。チェーンソーで道の倒木を切り、帰省していた人々は輪島を離れた。
電気と水道の復旧が見通せなかったため、多くの住民がそれぞれの判断で、医療関係者が常駐する県南部の避難所などに次々と避難していった。
自宅が半壊した井池さんは、妻の由起子さん(68)と集会所での寝泊まりを続けてきた。
1月下旬。金蔵地区内の住民は井池さん夫妻を含め、30~70代の10人ぐらいまで減った。
静まり返った集落で話題にな…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル