辺野古埋め立て承認は「あうんの呼吸」だった 菅氏が明かした舞台裏

 沖縄復帰50年を機に、菅義偉・前首相が朝日新聞の単独インタビューに応じた。官房長官として沖縄政策を仕切った安倍内閣で、米軍普天間飛行場の県内移設をどう推し進めようとしたのか。仲井真弘多(ひろかず)知事に接近し、2013年に名護市辺野古での埋め立て承認を得た経緯などを語った。

 ――もともと沖縄とは、どういう関わりがあったのですか。

 年に一回、家族で夏休みに行ってたんですよ。(1987年に)横浜市議になってからかな。政治的に関わるようになったのは官房長官になってからです。

 ――2012年末の衆院選民主党から自民党に政権が戻り、安倍内閣となって官房長官に就きました。米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる当時の日米関係はどうでしたか。

 最悪の状況でしたね。再構築に大変な努力が必要でした。民主党政権ができた時、鳩山さん(由紀夫首相)は移設先について「最低でも県外に」と言いました。具体案が見つからず早々に断念しましたが、移設先は日米で合意済みの名護市辺野古で変わらないと思っていた沖縄の世論が大きく振れました。普天間飛行場の移設が進まないことで、沖縄の海兵隊の部隊をグアムに移転する米政府の予算が議会で凍結され、基地負担軽減が進まなくなっていました。

 そんな中で安倍晋三首相が(13年2月末に)訪米し、オバマ大統領との会談で「日本にこれをやってほしい」という三つの課題が示されたんです。TPP(環太平洋経済連携協定)に入ってほしい、(国境を越えて連れ去られた子どもの扱いに関する)ハーグ条約を批准してほしい。もう一つが、辺野古移設のために政府が沿岸を埋め立てることを沖縄県に申請を出してほしい、でした。

 しかも、埋め立ててくれじゃ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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