実の親と暮らせない子どもを家庭に迎え入れて育てる「里親制度」を知っていますか? 東京都八王子市の里親、坂本洋子さん(63)はこれまで、18人の子どもたちを育ててきました。特に「ハンディのある子を」と、障害のある子を希望して受け入れてきた坂本さん。いまも6人の子と暮らしています。35年にわたる子育てへの情熱は、どこから湧いてくるのでしょうか。
記事の後半では、坂本さんのインタビューをお読みいただけます
「トマトはちゃんと食べた?」「食べてるよー」「ねえ、ごはんにノリを巻いて!」「はい、どうぞ」
フランクフルトに、トウモロコシ、トマト、卵焼き。彩り豊かなおかずが並ぶ。みんながそろう日曜日のお昼ごはんは、風通しの良いウッドデッキで。それぞれお気に入りの具が入ったおむすびを、子どもたちがほおばる。元気いっぱいなそのさまを、「かあか」が優しく見守る。
喜びが力になる
児童養護施設などから受け入れた里子たちを育てて、35年が経った。迎え入れた子の多くに、何らかの障害があった。初めは偶然だったが、今は「ハンディキャップのある子を育てたい」と行政側に伝え、進んで受け入れている。「何でって? 大好きだから」
拡大する新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が明けた6月。広々とした公園で、子どもたちとめいっぱい遊んだ=東京都八王子市、福留庸友撮影
ハンディのある子の成長はゆっくりで、足踏みしがちだ。だがふとしたきっかけで、目を見張るほどグンと伸びるときがある。驚き、心が震える瞬間。その喜びが、育てる自分に力を与えてくれる。「もう、健常児じゃ物足りないくらいよ」
自傷や他害行為があった子にはスキンシップを欠かさず、夜に自分がトイレに行くときも、離れて怖がらぬようおぶって行った。心が安定し、少しずつ言葉を発するようになった彼が「ひまわり……」と口にしたときは、一面のヒマワリ畑に連れて行った。「可愛がりすぎて悪いということはないの」
「長男」との体験が原点
原点には「子どもについて、彼が全てを教えてくれた」という最初の里子「長男」の純平君(仮名)がいる。過酷な経験を経て施設から来た純平君は、家ではいい子なのに学校では暴力を振るった。里親以外を敵とみなして攻撃し、愛に飢えるがゆえに問題行動を繰り返す。
「施設上がりだから」と責める大人たちの差別と偏見から守るため、学校へ行かない選択をしたことが問題視された。施設に戻された純平君の元に毎週末通って交流を続けたが、心の平穏を取り戻してやることはかなわなかった。17歳、バイク事故で急逝した。
虐待や経済的理由などで親と暮らせない子は、全国で約4万5千人(2018年度末)。このうち、里親宅など家庭で育てられているのは約7千人に過ぎない。
「『家庭』のせいで傷つけられた子の心は、『家庭』でふっくらさせてあげないと」。不変の信条の前には、血のつながりもハンディキャップの有無も、関係ない。いま、6人いる子どもたちの「末っ子」は5歳。彼が成人するまで、もちろん育てるつもりだ。
「おかえり! おやつあるよ」。母の朗らかな声が、丘の上の家に今日も響く。(岩本美帆)
ここからは坂本さんのインタビューの一問一答です。これから里親になろうと考えている人たちに伝えたいことも聞きました。
――初めて里親になったのは28歳。子どもを授からなかったからと。
診察で不妊とわかったことがきっかけでした。こんなに子ども好きなのに子を持てない私たちと、「どうして自分にはお母さんお父さんがいないんだろう」と思う子と。似た苦しみを背負っていると思ったんです。補い合えると。
でもね、「不妊だから里親にな…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル