逃げてもいい、その意思の先にある新しい私との出会い 現代の逃走論

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聞き手・刀祢館正明 聞き手・田中聡子 聞き手 編集委員・塩倉裕

 コロナ禍の閉塞(へいそく)感のなかで、現実から「逃げたい」と思うこともままある。だが、ネット上の情報を消すことも難しい時代、逃げることは可能なのか。2022年の「逃走論」を考えたい。

ここではない、どこかへ行く意思 ヨシダナギさん(フォトグラファー)

 ずっと逃げてきた結果、現在の私があると思っています。

 まず、中学2年で学校から逃げました。不登校になったんです。きっかけは両親の離婚でした。それまで家で絶対的な存在だった母親が出て行き、自分の意思で行動できるようになったんです。その時思ったのは、私の人生に学校はさほど役に立つことはないだろうな、自分に不向きなところに行くのはもう終わりにしよう、と。集団行動が苦手で、みんなと同じことが出来ない子だったのです。

 学校からは「定期テストに名前だけ書いたらなんとかする」と言ってもらえたので、保健室登校して、なんとか中学校は卒業出来ました。

 その後は、スカウトされてグラビアアイドルに。でも集団行動の苦手な私には、限界がありました。

「ずっと逃げてきた」と話すヨシダナギさんは、今の自分に何を感じているのでしょうか。2004年のイラク人質事件で「自己責任」とのバッシングを受けた今井紀明さん、1980年代のニュー・アカデミズムの旗手として「構造と力」や「逃走論」の著書のある浅田彰さんも、記事後半でそれぞれの逃走論を語ります。

 そこで、今度は得意だった絵…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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