通天閣スライダー誕生の舞台裏 150回すべった仕事人の試行錯誤

 通天閣(大阪市浪速区)に5月誕生した全長60メートルの滑り台「タワースライダー」。さっそく人気を集めているが、完成に至るまでにはかなりの試行錯誤が重ねられたという。製作に携わった仕事人たちの、汗と涙のドラマを追った。

 タワースライダーは、通天閣3階から地下1階までを約10秒で滑り降りる体験型アトラクションだ。高低差は約27メートル。通天閣本塔に隣接するエレベーター塔に、チューブ型の滑り台がらせん状に巻き付く。利用客は長さ2メートルの専用の袋の上に寝転がり、時速約30キロの速さで滑り降りる。

 5月12日午後、同僚と4人で訪れた大阪府八尾市の会社員、干場(ほしば)凜子さん(22)は会社帰りに悲鳴を上げながら滑った。「思ったより速い。入社したばかりで、仕事で慣れないことが多かったけど、ストレスを発散できた」と笑顔で話した。

コロナ禍で来場者数は激減

 スライダーを作ったきっかけはコロナ禍だ。通天閣の入場者数は2019年度の約110万人から20年度で約8割減、21年度も約7割減にまで落ち込んだ。展望台には、多いときで1日5千人ほどが訪れていたが、100人を切る日が続いた。

 「地域の起爆剤になるような、一歩、二歩踏み込んだ何かおもろいことできへんかな」。通天閣観光の高井隆光社長(47)は20年夏、竹中工務店大阪市中央区)の担当者らと会議を重ねた。通天閣からのバンジージャンプや天空ブランコ……。様々な案は出たが、どれも「危なそう」と見送った。

 そんなある日、担当者が遊び…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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