造幣局のさくら、いま咲き誇れ 手づかみから始めた「桜守」の願い

 約140年前から続く大阪の春の風物詩、造幣局大阪市北区)の「桜の通り抜け」が13日、3年ぶりに開かれる。約560メートルの遊歩道を彩る桜並木を守るのは、勲章や褒章の製造をかつて目指した一人の男性職員だ。31年前の入局からずっと、桜守として歩んできた。

 「通り抜け」の歴史は、明治時代にさかのぼる。造幣局の設立から12年後の1883(明治16)年、当時の局長、遠藤謹助が「局員だけの花見ではもったいない。大阪市民と共に楽しもうではないか」と、一般公開を発案したとされる。混雑緩和のために来場者を一方通行にしたことから、「通り抜け」と呼ばれるようになったという。

 造幣局では、支局を合わせると854人の職員が働く。貨幣の製造や記念貨幣の販売、地金や鉱物の分析などの部署がある。施設課では、貨幣などの製造設備の保守・点検のほか、桜の管理などを担っている。

 肌寒さが和らいできた今年3月下旬、施設課の渡辺秀勝さん(49)は、ほかの職員とともに、桜の品種を説明する木製の立て札や、夜桜を照らすぼんぼりの設置に追われていた。

 渡辺さんは1991年の入局時、「手先が器用だったため、勲章や褒章の製造を希望しました」。精巧な技術が求められる仕事に憧れていた。だが、実際に命じられたのは桜を管理する担当だった。

 まず、課された作業は、桜を…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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