遅れる、売れない、でも苦情は来る…週刊朝日最後の編集長が見た景色

【Last Day】日本最古の総合週刊誌である「週刊朝日」が休刊。最後の一日に密着した=井手さゆり、西田堅一、小林孝也撮影

 総合週刊誌として日本最古の歴史を持つ「週刊朝日」が5月30日発売の増大号をもって休刊した。大正時代の創刊から数えて101年目。最後の編集長となった渡部薫さん(52)が見た、週刊誌を取り巻く厳しい状況とは。

 朝日新聞の記者などを経て編集長になったのは2021年。

 休刊までの2年あまりで最も強く印象に残るのが、昨年7月にあった安倍晋三元首相の銃撃事件だった。毎週の校了日は土曜日。事件が起きた8日は金曜日だった。「これほど大きな事件。報道するのが我々の仕事だ」と考えた編集部は、予定していた特集や企画を大幅に差し替え、「容疑者の動機」「銃の構造分析」「今後の政局」をテーマにした特集を急きょ取材。1日あまりで校了し、掲載した。

 発売は翌週火曜日の12日。週刊誌としては早かったが、すでにネット上で事件は大きく取り上げられていたためか、思ったほど売り上げは伸びなかった。

 一方で、この特集に対し、「人の死で商売をするのか」といったクレームがかかってきたという。

 メディア報道への視線が厳しくなる中、情報はこれまでにない速度で消費され、週刊誌は構造的について行けない――。この一件で、渡部編集長は「週刊誌の役割が終わりつつあると感じた」と話す。

 昨年末、週刊朝日の休刊が正式に編集長に伝えられた。続けたいと掛け合ったが、結果は変わらなかったという。

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 休刊発表後YouTubeなどでは「週刊朝日休刊の真相」などと銘打って、臆測で「真相」を語る動画が次々に出てきた。

 週刊朝日は編集部公式のYouTubeチャンネルを開設。休刊まで定期的に動画を公開した。渡部編集長は「自分たちの言葉で、休刊の経緯を説明したかった」と話す。

 渡部編集長が最後まで頭を悩ませたのはライターの雇用問題だった。かつては多くの記者が正社員だったが、現在はほとんどの記者が「常駐フリー」と呼ばれる業務委託契約。正式な社員としての記者は数えるほどしかいなくなっていた。

 渡部編集長は各所に声をかけ委託記者の次の職場を探したが、ほとんどは安定した仕事を見つけられないまま「フリー」として送り出すしかなかったという。

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 5月末に発売された最終号は飛ぶように売れ、週刊誌では異例の増刷もした。編集部には「本当に辞めちゃうの」「増刊などの形で復刊してほしい」などといった休刊を惜しむ声も多く届いた。

 これまで苦悩は尽きなかったが、渡部編集長は「週刊朝日を面白いと思ってくれる人はゼロではない。次につながるかすかな希望が見えて終われた気がします」と語った。(木下広大)

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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