1964年と2021年。二度の東京オリンピック(五輪)でいずれも選手村の理容室に立った人がいる。東京・麻布十番の理容室「エンドウ」の遠藤澄枝さん(81)。半世紀を経て、最も変わったのは選手村の空気感だった。
「マグロじゃないけどさ、動いていないわけにはいかないのよ」。冗談を交えながら、今も現役ではさみを握る。切る間は立ち続け、腰も曲がっていない。客に向き合う姿は年齢を感じさせない。
遠藤さんは1940年、中野区で理容室を営む両親のもとに生まれた。高校卒業後、理容師の資格を取り、20歳のころから両親とともに店を支えた。
父から「選手村に理容師として行ってくれ」と頼まれたのは64年夏。父は地域の理容組合役員で、どこも人手が足りずに話が回ってきたという。当時、五輪がどんなものかはわからなかったが、新幹線が開通し、首都高速道路ができた。「何かすごいことが起きている」という感覚があった。
選手村での勤務は、開幕1カ月前の9月半ばから始まった。海外では女性の理容師が少なく断られることもあったが、日本人を相手に切る腕を見て徐々に受け入れてくれた。
日本人の理容師にとっても、外国人の髪を切る経験はほとんどなかった時代。言葉は通じないうえ、選手は表情が硬く、あまり話さない人が多かった。独特の緊張感。「これが国を背負う重圧なのか」と思った。
ただ、競技が始まると重苦し…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル