首や背中の辺りに茶色い染みのある立て襟のワイシャツ。細いしま模様が入った生地で、袖口にはカフスボタンが光る。
7月下旬。広島平和記念資料館(広島市中区)を訪れた写真家の石内都さん(74)は、中庭に面した会議室の窓側に被爆者の遺品を広げ、撮影していった。
トレーシングペーパーを重ねて敷いた上にシャツを載せ、丁寧に広げて形を整える。長年愛用する一眼レフカメラ「ニコンF3」を構え、居住まいを正して呼吸を整えると、シャッターを切った。
「真裸でまっ赤に染まった躰(からだ、マーキロと血とで)に私はこのワイシャツを着せてやった」。荷札に書かれたメモが遺品に添えられていた。
残されたものは「歴史の塊」
76年前の1945年8月6日。広島市立中学2年生の檜垣浩さん(当時15)は建物疎開の動員中に被爆し、全身に大やけどを負った。なんとか父親の職場までたどり着いたが、衣服は熱線で焼けて裸同然の姿。父親がシャツを着せた。その夜、「お父ちゃん、胸が苦しい」と言って亡くなったという。シャツの茶色い染みは血と消毒液の痕だ。
被爆時にはいていたズボンも広げられた。左側は股下から裾がない。右の裾には焼けて大きな穴が開いている。残っていた布のベルトをめくると、きれいな字で名前が書かれていた。
「熱線を浴びた方向によって、衣類の焼け方に違いがある」と、撮影に立ち会った下村真理学芸員。
6歳の男の子がはいていた焼け焦げがある半ズボン、高等女学校3年生が持っていた財布、背中に焦げ痕がある婦人服……。この日は被爆者の遺品計7点を撮影した。ライティングはせず、窓側の明かりで自然に撮る。36枚撮りカラーフィルム計5本で終了した。
「残されたものたちは歴史の塊。被爆から76年を経て目の前に現れた。未来へつなげないといけない」
こだわるのは被爆者が身につけていたもの。洋服、靴、手袋、眼鏡、入れ歯。「肌に触れていたものがその人に一番近い。生身の肉体はなくなっても、ものは長く存在する」
2007年に初めて広島を訪れ、被爆者の遺品を撮影。写真集「ひろしま」(08年)を出した。花柄や格子柄、水玉模様のカラフルなワンピースやスカート、丁寧に補修した手袋などの写真が並ぶ。掲載したワンピースの写真などに「きれいすぎる」と批判の声も上がった。
いしうち・みやこ 1947年、群馬県桐生市生まれ、小学校から高校まで神奈川県横須賀市で暮らす。写真は独学で27歳で撮り始める。育った基地の街、横須賀を撮った「絶唱、横須賀ストーリー」で77年にデビュー。79年に女性では初となる木村伊兵衛写真賞受賞。写真集に、旧遊郭や赤線跡の「連夜の街」、被爆者の遺品の「ひろしま」など。東京国立近代美術館、ニューヨーク近代美術館など国内外の美術館に作品が収蔵されている。2014年にハッセルブラッド国際写真賞受賞。
「戦時中だって若い女の子は…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル