広島市南区の以南(いなみ)靖宏さん(77)は2011年夏、半年前に94歳で亡くなった父穐三(あきそう)さんの遺品整理をしていた。仏壇の引き出しから、紺色の風呂敷に包まれたアルバムを見つけた。表紙は薄汚れ、端々に破れもある。
「なんじゃあ、これ」
開けると、セピア色の写真が90枚以上あった。軍服姿で拳銃を空に向ける男性。日の丸を掲げた艦船に乗り、海を見つめる男性。その多くは、日中戦争に出征した穐三さんが、戦友らと中国で撮った写真だった。裏面にはそれぞれの名前と、一部は住所や性格が手書きされていた。
《部下を我が子のほど愛す 我等(われら)隊長 中村忠男》
《6月8日 青島ニテ 杉山上等兵》
穐三さんは生前、「戦争には二度と関わらない」と多くは語らなかった。なぜ大量の写真を残し、名前と住所を書いたか分からない。だが、以南さんは「本当は伝えたいことがあったのでは」と感じた。
以南さんはその後、心不全で入院を繰り返し、「もう命は長くない」と感じていた。「写真を戦友のご家族に届けることが、父が私に残した『宿題』ではないか」と思い始めた。
21年に病院を退院すると、家族を捜し歩く旅を始めた。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル