東京・丸の内。
レンガ造りの都庁舎の中庭に紙の束が次々と放り出されたのは、戦局が悪化した1943年秋か冬のことだと思われる。東京都職員の川崎房五郎さんは目の前で、その光景を目撃した。
山積みされていくのは、江戸から東京へと文明開化の歩みが記された明治期の東京府公文書、約1万冊。この年の夏、東京府と東京市が合併して「東京都」になり、約16万冊に及ぶ文書が都に引き継がれた。その一部だった。
川崎さんは早稲田大学の史学科を卒業し、東京市に入庁した。拝むように東京府から文書を借り出しては、それをもとに市史の編纂(へんさん)にあたる。そんな仕事をしてきた。なのに、のどから手が出るほど欲しかった資料を旧府職員は野外に放り出す。「何としてでも、どこかへ保存を」。そう説いてまわった、と本人が生前のメモに残している。
「廃棄」と「焼却」、迫る危機
このころ官庁の公文書保存には「廃棄」と「焼失」という二つの危機が迫っていた。
開戦から丸2年がたち、世の中からさまざまな日用品が消えた。紙もその一つだった。のちに作家となる山田風太郎は43年12月5日の日記に「去年はまだ紙のいい日記が探せば店頭にあった。ことしは紙の悪いはおろか、日記様のものすらまだ見えぬ」と記した。
使えるものは何でも使うべし、と政府は2カ月後にはこんな通知を出す。
官庁の保存文書に徹底的に再…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル