酒井くにおは、知られているようで知られていない。
上方を代表する兄弟漫才師でありながら、素顔は謎多きまま、昨秋旅立った。
生まれは岩手。東京でデビューし、なぜかアウェーの大阪へ。コントに漫才としゃべくりはもちろん、歌も踊りも何でも。天下の漫才師横山やすしとも縁深く……。
一体何者だったのか。
2月、心斎橋角座(大阪)での追悼公演は、そんな異色の人生を多くの芸人仲間が振り返った。
漫才、トーク、漫談。それぞれの芸を通して「酒井くにお」を語り尽くした。
森脇健児によると、いつどこでも芸人らしく。
立ち飲み屋で酔っ払いに絡まれてもひるまない。ちゃっかり1千円払わせ、「とおるちゃん!」を連発した。
地獄耳なのか、「うわさ話をすれば必ず現れる」(チキチキジョニーら)。
たいていは「弟とおるはハンサム」という話題で、「とおるばっかりほめて」。他人を褒めるともっとほえた。
偏食家でもあった。
クレープは具だけ食べてあとはポイ。カニ嫌いで、ロケの仕事でも身をほじるだけ。
クセ強めでも愛されたのは、あの風貌(ふうぼう)からか。
「フンコロガシのよう(な見た目)でかわいい」(とおる)、「セキセイインコみたいやったな」(シンデレラエキスプレス)。
追悼の場でも、遠慮なし。変に持ち上げられたり神格化されたりしない。
会場で配られたくにおの年表もあっぱれだ。
舞台も私生活も踏んだり蹴ったり、功績よりヘマの羅列。成し遂げたことよりしでかしたことが芸人を作る、といわんばかりに。
関東なまりで「上方でない」と干され続けた芸が日の目を見たのは50歳近く。
「1997年4月 第32回上方漫才大賞受賞」
年表の膨大な文字列に埋もれる、たった1行の重み。
公演の最後は、弟とおるが漫談をした。
引っ越しセンターのCMメロディーにならい、「♪さかい~くにお~仕事さっぱり~」。
遅咲き芸人の悲哀を笑いに。
芸人に涙はいらない。
そして言った。
「明日になったらもう忘れま…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル