「うわーん」
人通りのない商店街の、古い木造の建物から、赤ちゃんの泣き声が響いた。
岩手県釜石市の「仲見世通り」。ガラス戸を開けると、1階は子どもの遊び場、2階がテレワークのためのオフィスだった。
2階の床が一部外され、吹き抜けの階段になっていて、子どもの様子が分かる。パソコンの入力作業をしていた母親(43)は「安心して働けます」。子連れ出勤できる職場を作ろうと、東京の不動産情報サービス会社が昨年11月、開設した。
ボランティアで被災地へ
建物のオーナーで改装を手がけたのは、三重県鈴鹿市の建築士、宮崎達也さん(51)。東日本大震災をきっかけに、この12年、鈴鹿と釜石を行き来している。
今は月のうち3週間は釜石、1週間は鈴鹿で暮らす。人通りが消えたシャッター街を「にぎわいのある通りにしたい」と言う。
宮崎さんは、父の代から鈴鹿市で建築設計事務所を営む。2011年3月末、青年会議所のボランティアで釜石市に入り、惨状を目にした。設計の腕を生かして支援しようと決意。12年4月、アパートを借り、地元の設計事務所の下請けに入って、岩手県宮古市の復興住宅や同県大槌町の保育園の設計などに携わった。
従業員3人の鈴鹿市の事務所も維持し、相互に遠隔で仕事をこなせるようにした。
復興の活動で、大勢の支援者と知り合った。情報産業や証券会社のビジネスパーソン、大学教授ら、普段出会わない人たちと議論し、刺激を受けた。誘われて劇団にも参加し、出演するまでに。
人生を変える出会いもあった。全国紙の記者を辞めて移住してきた、8歳年下の女性と結婚した。
そして数年前から、商店街再生の活動に取り組んでいる。古民家に目を向けたのは、津波被災地域に支援が集中しがちな復興のあり方への疑問からだ。
当時、「仲見世通り」の約20店はほぼすべて閉店していた。
客数、30年で10分の1に
釜石市によると、近くの観光…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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