長崎に投下された原爆の爆心地から1・7キロの場所にあった「福岡俘虜(ふりょ)収容所第14分所」。連合国軍捕虜が病気や被爆で死亡した。彼らを追悼する記念碑が4日完成した。被爆したオランダ人元収容者の遺族が活動を始め、長崎の被爆者らも加わった。かつて戦火を交えた国の人々が力を合わせ、戦争の記憶をつなぐ新たな礎ができた。
第14分所は長崎駅に近い三菱長崎造船所幸町工場の一角に1943年に置かれた。45年8月9日の原爆投下時には英国やオランダなど連合国軍捕虜約200人を収容しており、うち8人が死亡し、けが人も複数出たとされる。原爆投下前にも病気などで複数人が死亡したという。
記念碑建立を思い立ったのは、第14分所に収容された元捕虜を父に持つオランダのロブ・シュハウテンさん(62)だ。
父エバーハートさんはオランダ領東インド(現・インドネシア)出身。43年に日本軍の捕虜となり、長崎に送られた。22歳の時、爆心地から1・8キロ離れたトンネルに作業に出ていて被爆。真っ黒に焦げた遺体や逃げ惑う人々を目の当たりにし、「この世の地獄を見た」とロブさんに生前語っていたという。
90歳で死去して3年後の2…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル