戦後77年が経ったいま、その様子を直接知る人は少なくなったという。
熱線で焼け焦げた髪やほお、黒く空洞になった瞳。原爆被害の象徴として知られる長崎・浦上天主堂の「被爆マリア像」は戦後30年間、北海道北斗市のトラピスト修道院に安置されていた。
応召した野口嘉右エ門神父(2004年に91歳で死去)が、壊滅した天主堂のがれきの中から奇跡的に見つけ出し、修道院に持ち帰った。自室の机や労働する裁縫室などに置き、毎日祈りを捧げていた。
変わり果てたマリア像の頭部を、いとおしそうに抱える野口神父の写真が修道院に残っている。「発見というより、まさに目の前におられた」。うれしそうに語る神父の晩年の姿を、いまの大院長、横内弘さん(53)は思い出す。
「マリア様への信心が強い方…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル