長崎原爆乙女の会、機関誌の希望 「空白10年」超えて

 原稿用紙2枚分の文章に、「明るい」という言葉が3度繰り返される。

 「明るく、強く生きようと誓い合っております」

 「明るい便りを多くの人々に読んでもらったらなお一層の意義がある」

 「このはげしい世の中を強く明るく生き抜くため」

 1955年7月20日。長崎で最初の被爆者団体である「長崎原爆乙女の会」が、機関紙「原爆だより」を発刊した。ガリ版刷りのB5判8ページ。被爆10年後の「発刊のことば」は、希望に満ちているように読める。

 会創設メンバーの一人、渡辺千恵子(93年に64歳で死去)は16歳の時、学徒動員された長崎市の工場で被爆。脊椎(せきつい)を骨折し半身不随になった。車いすで核廃絶を世界に訴えた、象徴的な語り部の一人だ。

 渡辺と親交があった長崎原爆被…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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