2017年の九州北部豪雨で被災した福岡県朝倉市で6地区91世帯に出ていた長期避難世帯の認定が、今月1日までにすべて解除された。国が巨額を投じた復旧工事は進むが、それに伴って家を奪われた人も多く、地区に戻る住民は少ない。災害が決定打となり、集落ごとに定められた地区をやむなく「解散」する動きも出ている。
ダンプカーが土ぼこりをあげる細い道を約3キロ、沢沿いに上ると、人家の跡がいくつかあった。長期避難が1日に解除された乙石(おといし)地区。だれもいない山里に、砂防ダムを造るパワーショベルの音が響く。「帰りたくても、家を建てる場所がない」。避難先から様子を見にきた区会長の佐藤達美さん(71)がつぶやいた。
17年7月5~6日、朝倉市や福岡県東峰村、大分県日田市などを線状降水帯による猛烈な雨が襲った。河川の氾濫(はんらん)や土砂崩れが多発し、朝倉市だけで33人が亡くなり、2人が行方不明となった。
朝倉市で特に被害が集中したのは、大分県境に近い山間部。別荘も含めた12世帯のうち9世帯が全壊した乙石地区は18年、ほかの5地区と合わせ、被災者生活再建支援法に基づき、二次被害を避けるための対策工事が終わるまで住めない「長期避難世帯」に認定された。
対象となった6地区ではこの4年間、復興工事が進んだ。一方で、下流域を次の災害から守る砂防ダムの新設が、元々の暮らしの場を奪った。
乙石地区では、中心部に6基の砂防ダムを造るため、残っていた家も撤去された。代わりの宅地はダム完成後に造成される予定だが、家が再建できるのはさらに数年先。住民には高齢者も多く、ほとんどが地区に戻ることをあきらめ、公営住宅などにすみかを定めた。
佐藤さん自身も、息子が市外に2世帯住宅を建て、妻も「帰りたくない」と漏らす。「自分ひとり帰ったとしても、集落として成り立たない」
5日に開いた集落会議では、ダム完成後に市が整備予定のメモリアル広場(仮称)ができたら、地区を解散する方針を決めた。「さみしいけど、けじめをつけないと。それが地域への恩返しだと思う」
昨春、長期避難を解除された…
【1/24まで】2つの記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル