閉園やむを得ない動物園、取り残されたニホンザルの運命

 戦後の復興期、市民のため、子どもたちのためにと、いくつもの動物園が地方自治体によって作られた。それから60、70年がたち、動物園を取り巻く環境は激変。「役割を終える」という選択をする動物園も出てきたが、そこでも生きている動物がいる。

 小田原城址公園(神奈川県小田原市)に再建された天守閣の前に、ひっそりと飼育・展示されている9頭のニホンザル。天守閣に観光客が次々と入っていくのに比べれば、サルたちの前で足を止める人はわずかしかいない。

 このサル舎は、小田原動物園の最後の名残だ。小田原動物園は戦後の復興期、子どもたちの教育を主な目的として1950年に開園した。当時、天守閣はまだ再建されていなかった。広いスペースを利用して、タイから100万円で輸入したゾウのウメ子など38種93点の動物を展示したという。

 その後、ライオンやフラミンゴなども加わり、最盛期の80年代後半には70種332点の動物がいた。一方で59年に本丸跡などが国指定史跡になり、60年には天守閣ができていた。動物園は2005年度から徐々に縮小し、最終的に閉園を目指すことになった。

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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